転勤は人生を邪魔するものであってはならない
このところ、転勤叩きが広がってきて、このブログの当初の意味は済んだ気がする。
カネカの転勤強要に対する炎上など、話題になる出来事もあったし。
このブログを始めた2015年は、転勤がつらいと口にしただけで叩かれる風潮があったけど、たったの四年で今は隔世の感がある。
企業はかつてのように殿様面出来なくなってきたと思う。
カネカ転勤問題については、四、五年前ならSNSに書き込むことも許されない雰囲気だった。当事者以外は無関心で、理解者も少なかった。書き込みしただけで叩かれて声を封じられる空気もあった。だから、当事者は勤め先があるだけ有難いと、建前を言うしかなかった。
でも、この頃になって、本音を口にしても良くなり、理解も広がった。長年の苦しみがようやく認められただけで、当事者は精神的に楽になった気がする。
転勤自体はなくせないだろうし、転勤が悪だとは思わない。ただ、
と訴えてきた。
同じご意見を目にしたので貼り付けます。
働くことは人生を豊かにするかけがえのない行為です。しかしながら、人間は仕事、家庭、健康という3つの幸せのボールを持っていて、どのボールが地面に落ちても、幸せになれません。
本来、転勤は前述した通り「社員が成長するため」の大切なリソースであり、私がインタビューした700人以上の中には「あのときのあの経験が私を成長させてくれた」と転勤先での経験を話してくれる人がたくさんいました。つまるところ、転勤が働く人の人生を邪魔する職場は、働く人をコストとしてしか見ていないのです。悪いのは「転勤」ではない。働く人を「人」として見ない企業であり、経営者です。
企業=経営者は「お父さんは元気で留守がいい」という時代は過去のものであると認識し、「転勤の必要性」と「どういった転勤制度なら、社員を成長させるリソースになるのか?」をあらためて考える必要があるのではないか。そういう職場では、「仕事」「家庭」「健康」のボールをジャグリングのように回し続けられるため、会社の生産性も向上します。転勤の良い面を生かす経営をする企業が増えることを期待したいです。
そうそう、これなんです。
この記事にもあるけど、男性は家庭の事情を会社で話さず、自分独りで抱え込む傾向が高いと思う。親の介護でどうしても会社を休まないといけない事態になり、ようやくまわりは気付くけれど、本人の申告もないため配慮がされない。
中高年男性は家庭のことを会社で申告するのは恥だと思われているようだ。
でも、昔と違い、今の中高年世代は一人っ子が多く、親の介護問題は息子一人が担うしかない場合も多い。妻も仕事があったり、転勤で帯同していたりすれば、親の介護は会社の配慮なくては成り立たない。
会社の配慮がなく当事者が離職するのは、
会社にとっての人事的な損失だと思う。
これは、社内の損失だけではなくて、取引先や顧客にとっても損失、国家的な損失ではないだろうか。
社員を考えないパワハラ転勤を強要する老害企業は、国を脅かす悪と言ってもいい時代になったんじゃないだろうか。
社員の家庭に配慮するのは雇用者の義務。
だから、社員も配慮をお願いしますと口にできる風潮が広がればいいと思う。
結果、企業と人事の負担は増すとは思う。人事で働く身内もいるので、そちらの大変さもわかる。
だから、人事担当者が孤独に疲弊するのではなく、どの企業でも普通に配慮できるようなシステムがあればいいと思う。
…難しいだろうけど。適切なルールがあれば、みんなが助かりそうだ。