転妻カラス

低収入転妻の苦労、倹約、労使・貧困問題についてぼやくブログ

ヤクザや番長がいない不気味さ

今日たまたま、こんな記事を読んだ。

 

番長がいなくなって監視社会が到来した 週刊プレイボーイ連載(213) | 橘玲 公式サイト

 

よくぞ言ってくれました!

 

そうそう、番長がいた時代の『愛と誠』や、ヤクザがいた時代の『仁義なき闘い』を知ってる世代として、おおいに頷けた。

 

今もヤンキーや、ヤクザはいる。

 

あぶれ者が社会からいなくなることはあり得ない。

裏社会は、ある意味、必要悪な面がある。

 人類が等しく正しい教育を受け、正しい職業に就けるわけではないからだ。

 

親に棄てられたり、教育を受けられなかったり、暴力的な環境にさらされていたりして、正しい教育や職業から遠ざけられている人々はどんな社会にも必ずいる。

 

「底辺で生きていても頑張って正しい社会で生きればいい! 社会のクズは抹殺しろ」

 そんなこと言うのはとてもカンタン。だけど、とても無責任だと思う。

 

もちろん、中には、暴力団組員の家庭に生まれながら、自力で勉強して大学を出たような元ヤクザもいるだろう。

でも、あらゆる人間に、そういう機会や資質が恵まれているわけじゃない。

 

どうしようもなく底辺にころがり落ちたとき、そういう人たちの集まる世界がどうしても生まれてしまう。

ヤクザの世界はそんな風に底辺の子供たちを拾う所でもある。

 

社会はある程度、そういうものも許容していかなければならないような気がする。

 

転妻カラスの時代はヤクザが堂々と金ピカの成りをして「おらぁどけや!」と怒鳴っていた。『ナニワ金融道』の世界は実在した。

そういうのを見て、「嫌~」と眉をひそめていたものだ。

ヤクザなんて最低、番長なんていなくなればいいと思っていた。

 

そう言ってた我々の世代が必死になって、本当にヤクザや番長を排除していった。そうすれば幸せな社会が到来すると信じて。

 

でも、結果はそんな単純なものじゃなかった。

 

正しい教育を受けられず、正しい職業に就けなかった人たちも、生きていかなきゃならない。

昔はそういう子供たちが山口組なんかに吸収されていった。

 

転妻カラスは底辺校に通っていたから、まわりにも中卒でヤクザの世界に修行に入ったクラスメートを知っている。

 

ヤクザにならなければ、彼は何者になったんだろう。

 

それ以外には、とび職になるか、板前の修業を始めるか。そういう道もあったけれど。

 高い場所に昇れなければとび職は無理だし、板前なんてそうそう目指せる仕事じゃない。

だから、幼心に、彼がヤクザになったのも仕方ないのだろうと思っていた。

 

転妻カラスは底辺校に通っていても生活水準は普通の下くらいで、参考書をふんだんに買ってもらえて、勉強部屋を与えてもらえる環境はあった。だから、高校に進学できたのも当たり前だ。

 

ヤクザになった彼なんかはそうじゃなかったはずだ。親も食べるお金がないような暮らしだったのではないかと思う。そういう子供に部外者が「頑張ればいいのだ。落ちこぼれたのは自己責任だ」と非難しても仕方がない。

彼らだって生きていかなきゃならないのだ。

 

転妻カラスも、ヤクザや番長は感情的には嫌いで、目障りな人たちが消えてくれたのは良かったと思わないでもない。

 

中卒でも、または不登校でも、親が暴力団員だったとしても、進める道が社会に用意されていれば、何も問題はないだろう。

 

ところが、今は昔と違い、中卒だから、じゃあとび職になりますか、厨房などに下積みとして雇ってもらいますかと言っても、道は閉ざされている。

 今は風俗嬢にも、パチンコのホールにも、大卒のバイトがいると聞いた。

 

そんな社会で、底辺の職業にも就けなかったら、どこへ行けばいいのか。

 

親に経済力もなければ、血生臭い暴力が生まれる要因になるかもしれない。

 

今は確かに安全になったし、犯罪率も減ったようだ。少年非行なんて言葉も聞かなくなった。

 

かつてヤクザになったり、非行に走ったりしていた人たちが、単に奥のほうに隠れているだけではないか。

 

隠れているならそれでいいという話ではないのだと思う。その人たちが幸せになれない限り、道で包丁をふりまわしたり、ネットで暴言を吐いたりする事件があとを絶たないだろうから。

 

暴走族も決して減ってはいない。ヤクザや番長がいなければ、彼らの暴走を止めるのは警察だけ。警察は現実に犯罪にならない限り、見回りしてくれるだけで、根本的なけん制にはならないだろう。

暴走族に群を統率するリーダーすらいなくなれば、余計に怖いではないか。

 

ヤクザは今や会社を経営したり、サラリーマンになったりしている。それがまた怖い。

うっかりと、知らずにヤクザの会社にパートに行って、知らないうちに違法な業務に加担してしまうこともあり得るではないか。

昔のヤクザは堂々と事務所をかまえていたが、商売人でもない限り、一般人は関わらずに済んでいた。住み分けができていたのだ。

ヤクザが地下にもぐったことで、一般人との距離が逆に近くなったとも言えるのではないだろうか。

 

犯罪率は減った代わりに、何が起こるかわからないというのは、いろんな意味が含まれるだろう。

 

昔のように、悪い人が悪そうに見えるわけではないから、誰に、どこに注意すればいいのかわからない。

だから、互いに監視し合うしかない。

結果、息苦しい社会が到来したというわけか。

 

ヤクザを野放しにすればいいとは思わない。

 

 ただ、あぶれ者を排除し攻撃するだけの社会が、上の記事のような内容に頷いてみるだけで、息苦しさが少しだけでも改善されるような気がする。