転妻カラス

低収入転妻の苦労、倹約、労使・貧困問題についてぼやくブログ

県民性は絶対ではない

自分の住んだことのない土地の人に対して、

「××人はプライドが高いらしい」「○○人は面白いらしい」「△△人は閉鎖的らしい」

のような話は人気が高いようだ。

 

県民ショーは大人気だったし、××県民のヒミツ的な本も売れている。

 

こういうのをエンタメ的に楽しむのはいいと思うし、転妻カラスも楽しんでいる一人だ。

 

困るのは、他愛のない俗説を現実の人間にもあてはめてしまう場合。

 

「あんたは××から来たんだよね。プライド高いんでしょ。我々とは付き合いたくないだろうね」

「○○人なら面白いギャグが言えるよね。え、言えないの? ○○人のくせに?」

「△△は閉鎖的なんだってね。性格的にも陰湿そうだな」

というような目でその地域の人を見てやまない意見を山ほど耳にしてきた。

 

もちろん、転勤族も似たような意見を言ってしまう。でもって、自分が以前住んでいた土地の知り合いに、したり顔でコメントしたりもする。

 

怖いのは、俗説みたいな意見が、強固なイメージとして刷り込まれてしまうことだ。

現実とは異なっているとしても。

 

例えば、大阪では仲のいい友だちに対して「お前アホやなあ~」とからかうのは親しみの表現で、家族間でも挨拶代わりだ。

場合によっては愛情表現の一つだったりする。

 

けれど、「大阪人は怖い」という刷り込みがあったとすれば、「ああ、やっぱりか。大阪人は怖いから、愛情表現にもアホを使うのか」のように、あらゆる事象が「××人=何々」にあてはまって見えてしまう。

こういう刷り込みは一度広まると個人の意識ではくつがえしようがない。

世の中の常識として流布してしまうところも恐ろしい。

 

大阪にも、東京にも住んでみて、感じたことは、

 

人って、世間で言われてるほど、違わない! ってこと。

 

仕事や趣味などを通して、国籍の違う、人種の違う方々と接したこともあった。

 

やはり、思ったことは同じ。

 

人って、みんな同じだな~ってこと。

 

親切にされれば嬉しいし、憎まれれば腹が立つ。

だから、自分の可能な範囲で、目の前の人に親切になろうとし、憎むまいとする。

そうでない土地の人、国の人を見たことはなかった。

 

大阪人が飛び抜けて親切だと感じたこともなければ、東京人が飛び抜けて親切だと感じたこともなかった。

日本人だけが親切だと思ったこともない。

××人は特に怖い、○○人は特に閉鎖的、のように感じたこともない。

 

確かに、何となく、傾向のようなものはあるかもしれない。大阪人が常にギャグを訓練されていて、その輪から笑いが絶えない、というように。

では、東京人はギャグを言わないのか? △△人はギャグを言わないのか?

そんなことあるはずがない。これまでいろんな土地の方々と接してきて、ギャグを一度も言わない土地の方になんて、お目にかかったことはなかった。

 

ただ、大阪はギャグが多発しやすい地域であることは確かだ。そういう傾向があるというだけのこと。けれど、傾向は絶対ではない。そこらへんの大阪人よりとびきり面白いギャグを飛ばす北海道人だってどこかにいるはずなのだから。

 

そうして見ると、人って、土地が変わってもそんなに変わらない。傾向が違うだけ。

その傾向のせいで、新しい土地に馴染みにくかったり、孤独を感じたりすることはある。

 

でも、人って変わらない、という意識がベースにあれば、相手にも伝わり、楽しい人間関係が形成されやすくなると思う。

 

逆に、「××人は」という思い込みは、人同士の間に壁を築き、敵対の種になるだろう。

 

ってことがよくわかった転妻生活だった。

 

 

 

 

 

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