読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

転妻カラス

低収入転妻の苦労、倹約、労使・貧困問題についてぼやくブログ

頑張って生きたのに、年老いてから貧困に。

日本の高齢者の5人に1人は貧困老人だと言われているが、

実家の親と、旦那の親と、

どちらも貧困とまでは行かないまでも、

かなり貧乏である。

 

どちらにも持ち家があり、預貯金と保険もあり、月に10万~20万ほどの年金を受給している。

食べたい物が食べれて、具合の悪い時は病院に行けて、年に一度くらいなら温泉に一泊程度の旅行に行ける。

でも、余裕のある生活にはほど遠い。

 

自分が入るお墓や、葬儀代もケチらなければ、日々の食費に事欠いてしまう。

持ち家のリフォーム代だとか光熱費、高い保険料などを払えば、年金だけでは生活費が足りず、どちらの家でも息子から月に2万~数万のこずかいを貰っている。

 

まわりを見れば、こういう家庭がとても多い。

子供にこずかいを貰わなければ、年金を受給しながらも介護施設やスーパーなどで働いている方が多く、それでも貯金総額は100万前後という話も珍しくない。

 

うちの親も旦那の親も、取り立てて贅沢をしてきたわけではない。

姑に関しては、以前は着物や宝石などを買い込んでいた時期もあったようだし、今も日々の食費に1000円以上もかけている。

でも、旅行に行くこともなく、ひたすら真面目に、真面目過ぎるほど堅く生きてきた。

うちの親も若い頃はデパートの服を買ったり、旅行に出かけていたりして、それなりにお金を使っていた時期もあった。

でも、旅行と行っても1~2年に一度、一泊の温泉旅行に行って来ただけだ。

デパートの服にしても、親戚の結婚式のために2万程度のスーツを買ったくらいのこと。

何十年も働いてきた社会人として当然の暮らしをしてきただけだった。

ちなみに、うちの親も旦那の親も共稼ぎだった。

 

それなのに、貧乏というのはどういうことなんだろう。親たちの暮らしぶりを見ていると、日本は本当に豊かなのかと首を傾げたくなる。

 

どちらの親も貧困家庭ではなく、5人に1人には含まれない。

持ち家があり、子供たちが独立し、自分たちの老後の暮らしの足しにと、シルバーさんとして介護や清掃のお仕事に就かれているような方たちも、貧困層ではない。

 

でも、この貧困層ではない、普通の平凡な老人たちも、みんなとても貧乏なのだ。

 

老人になると、高齢者用のいろんな品々(介護用のベッドやオムツなど)を購入する費用もかかり、補助が出るとしても、思いのほか生活費がアップしてしまう。

そんなところから、生活に余裕があったような人達も、これといって贅沢をした覚えもないのに、年金とこずかいを貰いながらも、気が付けば貧乏になっている。

うちの親も月々の食費を一人当たり15,000円以内に収めなければやっていけないと言っている。

老人といえども、純粋に生きて行くお金以外に、人と交際したり子供の家に行ったりする交通費も必要なので、そうしたお金もとっておかなければならない。

多くの自治体で老人の交通費を無料にするシステムが導入されているけれど、それでも交通費は思いの外家計に響く。田舎なら車が要るからなおさらだ。

 

まわりの老人達を見ていると、貧困老人は5人に1人だとしても、その人たちを含めた貧乏な老人なら、5人に4人はそうだと思う。(余裕のある老人もまた、5人に1人の割合じゃないのか。)

今はその子供も多くも貧乏である。

親のまわりを見ると、親が「うちはマシだよ」と言い切るくらいに、生活保護ぎりぎりの生活レベルの方も少なくない。

その方達にも持ち家があるから生活保護は貰えない。

貧困層とは認められないこういう方達も、自分の家でコーヒーも淹れられないほど貧乏なのだ。

 

真面目に、頑張って働いて、真っ当に生きて来て、税金と年金を払い、

結果がこの貧乏暮らしかと思うと、やるせない。

その上、この頃は暴走老人が揶揄されるなどして、社会全体的に老人を排斥するような雰囲気がある。

誰も老人になりたくてなったわけではないし、暴走老人みたいなのは悪目立ちしているだけのことで、ほんの一部の人の話に過ぎないのに。

 

この世代にしてこれだ。

中高年世代が老人になった頃には、日本はどうなっているだろう。考えるのも恐ろしい。

子供のいない家庭ではなおさら。

 

日本の高齢者に対するシステムは素晴らしい。

年金が破たんすると危惧されているものの、本当に破たんするまでまだ時間は相当あると思う。

介護システムもきちんと整っていて、困っていれば助けてもらえる。

介護用品を買う補助がもらえるのも有難い話だ。

 

だから、現状、日本や自治体としては出来る限りのことをしてくれていると思っている。

それでも貧乏になってしまうのは、それ以外のシステムの問題だ。

 

家と教育費が高過ぎる。異常なレベル。

 

教育を得なければ貧困に陥る学歴社会のシステムも異常。

 

それに比べて給与が低過ぎる。多くの正社員が過剰な長時間労働により、時給に換算するとバイトの時給より低いような賃金で働いている。(残業代が払われないシステムの下で勤務されている方も多い。管理職は特に。)

 

とにかく、使用者側の一方的な無茶な命令による長時間労働や、無茶な転勤や、そういったものがなくなるだけでも、だいぶ家計は助かるはずだ。

例えば、サラリーマンでも在宅でアフィリエイトなどの副業が出来たり、というような可能性が広がる。

 

現状はともかく、

貧乏で平凡な転妻カラスに今できることは、

ドケチ生活を貫くこと。

稼げるうちは稼ぐこと。

 

そして、他にも稼げる手段があるなら目を向けること。

 

でも、怪しげなビジネスには近寄らない。

業者の口車には載らない。

 

…というように、ありったけの努力をしても、

きっと一般の貧乏サラリーマン家庭は

やはり貧乏な老後を迎えるのだろうな。

カァ、やるせないよ…。

親の終活とお墓

旦那の転勤生活をきっかけに始まった転妻カラスの断捨離に影響されて、

実家の母も断捨離を始めた。

部屋の片づけをして、あれも、これも、要らない、ということになり、

久々に帰省してみると、見違えるほど広いリビングになっていた。

 

断捨離を機に、終活にも目を向け始めた母に、

お墓問題を提案した。

当初は気が進まないようでいた母も

まわりの友達と話し合ったりした結果、早めにお墓と葬儀の準備を始めたいと言うようになった。

 

そして、某著名な寺院が募集していた永代供養の墓を、母と一緒に見に行った。

その寺院は一家族当たり100万、年会費無しというシステム。

実家の家族は三名なので、一人当たりの額は33万円だ。

 

もっと安いお墓はないかと、さらにお墓探しを続けた母が、次に見付けたのは、実家の近所の寺院が営む永代供養のお墓だった。

こちらは、一人当たり9万円。

この寺院で30万円ほど(法要、戒名、花代など諸々込み)で葬儀も営めると言う。

寺院が営んでいるという安心感もあり、こちらで契約する可能性が高くなった。

 

転妻カラスが調べたところ、大手の霊園でも続々と似たようなシステムが導入されるようになっていた。

但し、霊園であれば葬儀代は別で葬儀社などに依頼することになる。

だから、寺院一つで契約し、何もかも込み込みで、というシステムは、転妻カラス家でも検討したい。

 

親の終活をきっかけに、転妻カラスも終活問題について真剣に考えるようになった。

お墓の見学に行ったりもしたおかげで、永代供養のシステムについても納得がいくようになった。

 

お墓探しを始める前は、樹木葬を考えていたのだが、故人一人一人に樹木が一本という形だと、最低でも50万円はするようだ。維持費にコストがかかるのだろう。

 

そこで、最近の永代供養は、石造りのロッカーのような骨壺に遺骨を収容するタイプが多いようだ。

お彼岸などには数十名から数百名単位の遺族を集めた合同の法要が営まれる。

母が見付けた寺院もそうしたシステムで供養がおこなわれているらしい。

そうした形でなければ、故人一人当たりに50万以上はかかり、

従来型のお墓であれば、100万以上はする。

 

故人の遺骨は土に埋めてそこに石塔を建てる。そういう昔ながらのお墓は急速に減っているようだ。子孫がいなくなれば、何百万も払ってそういうお墓を建てる意味はなくなってしまう。

子孫がいても転勤だの何だのと生活の変化が多い今、お参りにも度々行けるものではない。

 

何より、遺骨を大事にお守りし、供養して下さる誰かがいてくれることが安心感につながる。

多くの永代供養の寺で、十数年から数十年後に遺骨をまとめて合祀し、そこに観音像を建てたりする流れになっているようだ。そうして永代に渡り供養してもらえるシステムらしい。

子孫のいない我が家のような場合は、もっとも安心できる形だと思う。

日本がこの先どんなに変わっても、こういうシステムが確立された寺院が潰れることはないと思う。

檀家が減り、経営が苦しい寺としても、こんな形で檀家に変わる人々や霊と新たに縁が結べれば、寺本来の役割的にも悪くない話ではないだろうか。

 

貧乏な我が家では、

葬儀やお墓にかかる費用は何より先に減らしたい支出だ。

浮いたお金で、母は生きている間に少しでも旅行やレジャーに行って、

残り少ない人生を楽しみたいと思っているらしい。

今の年金生活者は、支出をどこかで削らなければ、残り少ない健康な時間を楽しみに充てるなんて適わないのだ。

 

 

 

 

 

 

広告を非表示にする

株に笑い、株に泣く。

貧乏暇なしのパート主婦である転妻カラスは、

GW中もバタバタしていて、

いつしか前のブログを更新してから一ヶ月も過ぎていた。

この間もご来訪下さった方々がいらっしゃり、

読者になって下さった方もいらっしゃる。

大変ありがたく感じております。

 

さて、GW中に、昔録画したまま置いてあったビデオを見直していた。

そこにニュースが紛れていたのだが、

「今日の為替と株の値動き」が興味深かった。

 

時は1989年。

平成に直せば元年にあたるこの年、日本は岩戸景気に沸き、バブルの好景気たけなわだった。

プリンセスプリンセスが流行り、「一杯のかけそば」がベストセラーになった。

 

下は、その年最後の株取引がおこなわれた日のデータ。

 

1ドル 143円38銭~48銭 (1円23銭安)

平均株価 38,885円47銭(前日比8円53銭高)

東証指数 2,878.44 (8,12)

国債先物 5.518% (0.013%)

 

世界が今日のような貧困時代になるとは夢にも思わなかった当時、

この数字を語るアナウンサーの口調もどこか牧歌的に聞こえた。

 

一方、本日確認したデータは

 

1ドル 107.10-11円

平均株価 16,147.38円

 

と、27年の間にこれほど劇的に変化しているのだった。

 

年次で見る日経平均株価の推移にも、上のデータがぴたりと反映されている。

 

日経平均株価の推移 - 世界経済のネタ帳

 

グラフで見るとさらにわかりやすい。

 

その頃も今と変わりなく貧乏だった転妻カラスが

ある時同窓会で出会った先輩は、

株で大儲けしていた。

先輩はまだ20代だったが、「怖いほど儲かるから、みんなも株取引をしてください」と語っていたものだ。

 

今では考えられないが、バブル経済の好景気に沸いていた当時、

若者は、お金の話なんかしたり、株取引をやったり、国民年金を払ったりしている友達や先輩を

 

笑って無視していた(( ゚Д゚)

 

今ふり返ると、笑っていた私達の方がよほど笑われるような立場だったと言うのに。

若いうちは楽しまなきゃ! とお金もないのに海外旅行をしたり、デパートで高価な服を買ってみたりして、

 

まわりにいっぱい生えていた金の成る木の横を素通りしていた。

 

若くても先を見通す目があって、お金の勉強をしていたら、

バイト代をコツコツと少額でも株に充てて、今でも一部は残っていたかもしれない。

でも、そんな才覚なんて持ちようもなかった。

親世代自体も「若いうちにお金お金なんて言うのはみっともない」といった考え方だった。貧乏だった親たちもバブル時代はそれなりに儲かり、いくらでも稼げると錯覚していたようだ。

 

お金なんて真面目に働けばいくらでも貯められるのだから、若いうちから金儲けを考えたり、老後のために貯金ばかりしているのはさもしい、というように皆が思っていた時代だった。

ああ、未来を予測する能力があったなら。

 

バブル時代はこのように大儲けして不動産を買い、さらに資産を殖やした方も多かった。

一方には、不動産に巨額の資金をつぎ込み、その後破産された方も多かったけれど。

 

人は若い頃に見た栄華が忘れられないのか、

当時を知る世代にはノーテンキな浪費家が多い気がする。

うちの姑もまさにそれだし、いまだにデパート通いをやめられない友達もいる。

時代が変わったこと、息子や夫の収入が増えないことが頭ではわかっていても、現実を受け入れられないのだろう。

もともと貧乏な転妻カラスは今も昔も変わりなく貧乏でドケチだが。

 

姑も株で儲けた口だった。当時は儲けたいと真剣に考え、大手の証券会社で手堅く投資しておけば、必ず儲かった。

 

でも、その後の経済の悪化で、姑の資産もかなり減ったようだ。株が下がり出していた頃、「下がった」「上がらない」という話ばかりしていたから。

その頃から旦那の家の家計は坂道を転げ落ちるように悪化していった。

 

元々貧乏だった実家の親には好景気も不況もほとんど関係がなかった。

そのおかげで、不況になり金利が下がっても打撃がなかったと話していたことがある。

 

資産家は資産があるからこそ資産を減らし、お金を使う癖だけは残るからタチが悪いとも言えた。

 

この頃、一人の友達が離婚を考えていると言う。

ご主人が何年にも渡り株にのめり込み、生活費を使い込んで家計を圧迫しているからだそうだ。

ご主人もきっと株で儲けて家族にいい暮らしをさせたいと思っていたはずだ。

友達も儲かっていたなら離婚など考えなかっただろう。

 

身の回りでは今、株で儲けた人の話を聞かない。それが原因で家庭が破たんしたとか、老後の年金をつぎ込んで貧困に陥っているとか、そんな話はよく耳にする。

 

それでも、うまくやれば儲かるのでは???

と、投資に一縷の望みを託してしまいそうになっているお金が大好きな転妻カラス。

貧乏に別れを告げたい。その望みが適う日は来るのか???

 

ドラマよりもずっと結末が気になっている。

夢みたいな希望にすがり、

貧乏な日常をやり過ごしている今日この頃。

 

 

 

 

 

 

 

 

うちの上司が会社を訴えようとしていたらしい。

転妻カラスのパート先には、他社・他業種から転職してきた従業員が多い。

 

世間を広く知っているせいなのか、どうなのか、

 

中には個性的な人もいる。

 

ネットニュースで読んだ記事を話題にして、

 

法律に触れないように、従業員に残業代を支払わなくても良い制度が作られていた某企業について噂していたところ、上司から思いがけない話を聞いた。

 

「わたしもこの会社に入社した当時、この会社を訴えるつもりだったんです。

いろんな条件が、入社時に聞いた話と全然違った。

嘘ばっかりでした。

わたしの前任者に止められたので、思い止まったんです。今も訴えてやりたいと思ってます」

 

ということだった。

 

……世間によくある話だ。

 

会社という組織は、

何とかして従業員を丸め込み、

出来るだけ安い給料で、出来るだけ長く働かせ、

なおかつブラックの汚名を広めまいとし、

あの手この手で悪知恵の数々を振り絞る。

 

上で話題にした某企業はその典型例。

 

どこの会社も似たり寄ったりだと思う。

 

パートを転々とせざるを得ない転妻カラスは

ブラック寄りの企業と縁が深かった。だから、そこで働く正社員の悲喜こもごもを見聞きする機会がたくさんあった。

 

今や、この世でもっとも信頼出来ないのは、企業という組織だと思うに至ったのである。

社会人はお金を得る対価として、会社という名の魑魅魍魎とも何とかお付き合いをしていかなければならない。

 

転妻カラスの旦那の会社も、何とかして法に触れない範囲の転勤を行使させるか、キチンと計算している。

 

もちろん、転勤族とその家族が生きようが死のうが、知ったことではないだろう。

 

転妻カラスはもはや悟った。

ブラック企業探しなんて無意味。

ブラックじゃない企業を探す方が早い。なぜなら、その数が極少だから。

ほとんどの人材は、クリーンな企業で働く幸運をつかむのが至難の技だ。

そう思うと、少し諦めが付く。

 

少し古い記事だが、世の中にはこうした正義の味方みたいな会社もあるのかと、目からウロコだった。

 

http://mainichi.jp/articles/20151130/ddm/013/100/022000c

「離職防ぐおしどり転勤」

 

これらの会社は「転勤による従業員の生活変化に配慮している」点だけ見ても、称えられるべきだ。

 

ブラックな企業の話なんて有り触れ過ぎていて、もうする気にならない。

それよりも、善意ある企業の噂を大いに広めたいものだ。

その学歴、本当に必要ですか?

貧乏家庭で育った転妻カラスは

奨学金を利用していた。

その奨学金を結婚してから返していった。

まだ若く、旦那の給料も低く、転妻カラスのパート代も微々たるもの。

何度もくり返してきたように、転妻は正社員になるのが至難の技。パートでチマチマ稼ぎながら、過去の借金も返していくのは、なかなか貧乏な経験だった。

 

で、それだけの苦労をして手にした学歴で、

専門的な仕事をしようと勉強したわけだが、

旦那の転勤でついに願いは適わなかった。

運よく手にした職も手放す結果に。

手に職をつけるなら、もっと仕事がたくさんある流行の資格を勉強しておくべきだった。

 

それはさておいて

パートやバイトでさえも、学歴が問われる世の中だ。

高卒の友人によれば、高卒だとコンビニのバイトに採用されるのも大変だ、という話である。(本当かどうかは知らない。)

パートやバイトでも、学歴は高い方が有利だ、とのこと。

ただ、高過ぎてもいけない。

そこで、短大卒、大卒、専門学校卒を出るのが有利ということになっている。

 

というように決まってしまっている世の中。

こんな状況は変わっていくのだろうか。

 

この頃は奨学金の返済に昔より苦労するようになったと、ネットニュースでもよく目にする。

奨学金が若者の貧困を作り出している、とも。

経験者としては、あり得る話だと頷ける。奨学金の返済、ほんとに大変だったから。

 

そこまでして大学を出る意味って何なのか。

貧乏な転妻カラスは前から疑問だった。

もちろん、経験者として思い付くメリットは様々あった。

 

だけど、学歴で知性が身に着くわけではなく、実力が養われるわけでもない。

そういうものは、自分で努力して手にしていくしかない。

 

この事実を世間はガン無視で、記号のように学歴を扱っている。

少し前の記事でも書いたように、結果、学歴があっても中身のない人材がいる一方、学歴がなくても中身が充実している人材が見過ごされていくような人材のロスが生じているような気がする。

 

転妻カラスの思いを的確に突いてくれているこの記事。

 

jijico.mbp-japan.com

 

そうそう! 学歴に相当する知識や実力は、いまや無料で、ネットでも学べてしまう。

 

(それはそれで問題有りかとは思うが。)

 

それでも学歴をつける意味とは?

 

その答えが見いだせなくなっても、日本の学歴偏重思考は変わらないと思う。

 

なぜなら、そうでないと儲からない業種が多数あるからである。

 

「年金が危ない」と唱えないことには、金融業界が儲からない。

 

「学歴は大切」と唱えないことには、教育業界や諸々、いろんな分野の人々が困るから。

 

これからも学歴偏重は続くだろう。

 

一方で、本当に実力のある人材は、学歴とは別のところで実利的な能力を身に着けていく。その点も変わらないのではないだろうか。

 

 

 

 

年金って本当のところどうなの?

年金が危ない、企業退職金が危ない、老後貯金に1億はないと危ない…

 

世の中「危ない」情報ばかりである。

 

で、実際のところどうなんだろう?

 

この記事には「ナルホドな」と思った。

 

news.infoseek.co.jp

 

年金や退職金が「危ない」、老後資金に1億はないと「危ない」ということにしておけば、

 

金融業界が儲かる仕組みだったわけか。

 

実際、転妻カラスもこういう噂に踊らされて、いくつかの金融商品を購入したのであった。

お金のために、旦那の転勤に振り回されてきた転妻が、やっと定年となっても、そのお金がもらえないなんて、死んでも死にきれない悔しさである。

 

こういう「老後・危ない説」ばかり飛び交えば、一般の消費がますます伸び悩む。

持たざる層は、どうせどんなに努力しても報われない思いが強まり、

少しは持つ層も我慢ばかり強いられて楽しくない。

 

年金が破たんするかどうかは、見方や経済の動向により、一概には言えない。

 

ということがわかれば、毎日の生活も少しは楽しくなりそうだ。

 

何より、年金を破たんさせないために、年金を積み立てるモチベーションになる。

 

頑張れ年金、頑張れ日本。

 

 

 

学歴に毒された空気

diamond.jp

学歴詐称ニュースに触れて改めて思う。

 

学歴に始まり、学歴に終わる世の中だと。

 

日頃、学歴にまつわる噂を聞かない日はない。

誰それは国立大卒なのに賢くない、とか、誰それは国立大卒だからやっぱり出来がいいよね、とか、誰それは高卒なのに仕事ができる、とか、高卒だから年収が低いんだよね、とか。

 

しかし、社会に出ると、仕事を前にすれば学歴なんてほとんど関係がない。

学歴の高さが関係するのは、「人脈」「そこで出会い、見聞きした情報」の差くらいなものだ。仕事によっては、それが決定的に成果の差になって表れることもあるかもしれない。

それよりも、本人がつかんできた情報処理能力や、そのノウハウや、読解力や、知識の深さや、ひらめき力などのほうが、ずっと大切だと思う。

確かに、国公立大卒の人材は、その能力が秀でている傾向はあるかもしれない。

 

でも、絶対視するほどのものか。

同じようなレベルの大学同士であるのに、偏差値の高低で人材の質を決め付けるなんて、人材発掘の点から見てマイナスでしかないように思える。上の記事にはうなずけた。

 

転妻カラスもいろんな学歴の人々と共に働いたことがある。

仕事の関係で、有名大卒の、優秀な人材であると思われる大手企業の社員と交渉したり、メールのやりとりをしたりしたこともある。

その方たちは確かに優秀であり、飲食業関連の職場で見かける主婦のパートさんたちに比べると、明らかに文章作成能力や情報処理能力は高かった。

 

けれど、たまに「え???」と感じさせられたこともあった。

 

例えば、こちらが枠組みを作った文章に対して「こうしてください」と返って来た返答の中身に、

「日本語の主述が合っていない」「漢字の誤り」「ことわざの解釈の誤り」

が散見されて、使い物にならなかったことがある。

担当者がネットで適当に調べた情報でこちらに依頼を出し、その責任者もスルーしたらしい。そのままでは通せない内容だったので、訂正の申し出をした。

 

そんな経験もあるので、上の記事は興味深かった。

高学歴で優秀な人材でも、本質的に仕事能力が高いとは言えない。

逆に、そこそこの学歴でも、本質的に仕事能力が高いほうが世の中としては助かる。

それなのに、上の記事のように「偏差値の高低で仕事の出来不出来が決定される」風潮があると、仕事の質が衰えるという結果にもつながるような気がする。

 

この頃は大手の雑誌や書籍にもかつてはあり得なかった単純ミスがたまに目に付く。

職場の資料にもあり得ないミスが発生して、訂正する経費が馬鹿にならない。

 

これも学歴偏重が招いた質の低下のような気がしてしまう。

 

新聞やテレビを観ていて、自分の詳しい分野について触れられていると、

「担当者の勉強不足!」と、脱力することもある。

自分の知らない分野であれば、専門家が話していれば「ああ、そうか」と納得するが、

詳しい分野の場合は、「この人はちょっと勉強しただけの素人だ」とわかってしまう。

 

学歴の高い専門家だからと、本当に詳しいとは限らず、

巷の素人研究家のほうが精密で正しい知識を持っている例はあとを絶たない。

でも、世の中は、素人同然の学歴の高い専門家を有難がる傾向が高い。

 

昨日テレビでこんなコメントを耳にした。

「テレビでコメントをさせる場合なども、その人の学歴や職歴が非常に大事。株について語らせるなら、素人のタレントで株の知識が深い人もいるかもしれないが、銀行などで高い地位にいた金融専門家のほうが信頼出来るため、そういう人を敢えて起用する。であるのに学歴や経歴詐称をされると、世の中の信頼関係が崩れてしまう」

という趣旨の発言だった。

 

確かにその通りではある。

でも、そこに、問題の根っこがあるような気もする。

株に詳しい発言が欲しいなら、本当に詳しいかどうかわからない金融専門家を闇雲に信頼してもいいのか。

もしかすると、株に詳しい素人のタレントの方が、視聴者にとり有益な情報を提供出来るかもしれないのに。

そういう見極めが誰にも出来ないから、わかりやすい偏差値で決めておく。

それだと、最終的に質のいい物が出てこないことにならないだろうか。

 

学歴詐称問題云々より、学歴にこだわり過ぎている世の中の傾向の方に問題があるように思う。

 

次は、学歴の逆差別を目にしたケース。

転妻カラスが以前パートに通っていた会社の部署に

ある日、国公立大学の大学院卒の新入社員が配属された。新人研修の一貫だったのだろう。

 

彼が配属される噂を聞き付けた女性パートたちはザワ付き出した。

「○○大の大学院卒がなんでうちなんかに就職するの? (ウザい)」

 

それまで、気が良くシッカリ者のように見えていた同僚たちのイメージがガラガラと崩れたのはその日から。

彼が配属される前から、彼を見もしないで彼を叩く声が高くなり、現物が背の低いおとなしそうな男性であったことから、

いきなりイジメモードに突入した。

 

そこは電話の受付部署だったため、仕事は個人プレーだった。

転妻カラスは短期パートだったので、レギュラーの女性陣とは距離を置いていたから、

遠巻きに状況を見ていた。

 

恐らく高卒が大半だったパートたちにとり、「国立大の大学院卒」は憎むべき嫉妬の対象だったのだろう。

その人物がイケメンでバリバリだったなら、反応も180度違ったのだろうが。

「国立大の大学院卒なのに背が低くてイケメンじゃない、覇気がない、高卒のウチらと同じ仕事をして、給料はあっちが二倍か三倍。許せない!!! 仕事が出来ても出来なくても、とにかく叩いてイジメてやる」みたいな

恨みつらみがハッキリと目に見えて恐ろしかった。

 

彼が部署のデスクに着いた途端に、仕事を始める前から、日ごろは優しい彼女たちの顔付も言葉遣いもハッキリと険悪だった。

 

彼の仕事ぶりはごく平凡で、誠実に淡々と業務をこなしていた。

偏差値の高い大学院卒でも、初日からエリート用の仕事しかしないわけではない。パートやバイトと同じ仕事も、将来のために経験する必要がある。そのための投資という意味で、彼の給料が高いのも当然だろう。

それが現場のパートには気に食わなかったらしい。似たようなケースを他でも目にした。

 

彼は過酷なイジメを経験したことで、この先昇進した場合も、現場のパートの扱いがいかに難しいかを身をもって知ったはずで、

それはそれでいい勉強だったのかもしれないが。

そういう意味では、新人しごきもパートたちの役割だったのかもしれないが。

 

学歴詐称があとを絶たないということは、それだけ学歴にこだわり過ぎる人口が多いということ。

国立大卒であれば、仕事が出来なくても敬う空気があるいっぽうで、国立大卒であれば仕事が出来てもイジメる空気もまた存在し、

いずれにしても、私たちは学歴の呪縛に振り回されている。

 

そう言うお前は学歴が気にならないのか? と訊かれるなら、

はい、その通り。なぜなら、お金が大好きな転妻カラスにとり、学歴などは二の次。

 学歴が高くても、低くても、

貯金がいくらあるか、一生の間にいくら稼げるか、いくら残せるか。それが重要。

お金だけがすべての人なので! (笑)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

新生活は最低限からのスタートが節約のコツ

新生活はミニマリストからのスタートがお勧め。

元新入社員として、現役転妻として、この記事には大賛成。

新生活全般に適用出来るコツだと思う。

diamond.jp

 

 新生活にあたり、「形から入る」という声をよく耳にする。

服、かばん、家具、諸々を一式揃えて準備万全にして臨むというスタイル。

しかし、経験上、これはまったく無駄なやり方だった。

服でもかばんでも、新生活を始めてみなければ、自分に必要な品物なんて見極めはできない。

店で勧められた品物が自分に合わなかったり、環境に合わなかったりすることは多々あろう。

職場によっては高いスーツが浮いてしまい仕事がやりにくかったりすることもあろうし、安物スーツも「ここでなら価格以上に良く見える買い物ができる」コツが、時とともにわかってくるかもしれない。

 

転妻からのアドバイスとしては、家具や家電製品を買うのは最後の最後でいいと思う。

初めは不用品を譲り受けたり、ダンボール箱で代用したりして、「これでは不便だ。あれが欲しい」と思った時点で購入すれば外れがない。

それまでは、暇さえあれば店を見たり、ネット通販のサイトを見たりして、自分に必要な品物を見極める段階を踏むと買い物の失敗が少なくなる。

 

新生活でそれどころではない、としても、GWやお盆になってから、ゆっくりと整えても遅くはない。

 

初めに気負って不要な物を買いそろえてしまうと、捨てるに捨てられず、サイトなどで欲しい人を募る手間の方がハンパない苦労になってしまう。

不用品の処分に手間取り、本当に欲しい品物が手に入らないなんて、これほどのストレスはない。

二重に品物を買ったり、倉庫を借りたりするために、無駄なお金もかかってしまう。

 

転妻カラスも転妻になる前は、「形から入る人」だった。

新しい部屋、新しい土地に合う品物をいきなり買いそろえて新生活に備えたものだが、

生活するうちに「これ別に必要ないじゃん? 邪魔なだけ?」になった物は数知れず。

 

先輩からの口コミも自分には合わないことも多かった。

例えば、雪国に住むことになり、雪道用のブーツが必要だよ、と教わったものの、雪道用のブーツは雪道でしか使えないので別の土地では無駄になる、雪とは無縁の地域で買った底がギザギザのブーツのほうが、どちらでも使えて便利だった、というようなケースもあった。

 

お湯が沸かせるケトルが必要だと聞いて買ったものの、

頻繁にお茶を飲まないなら、そのたびに少量ずつお湯を沸かすほうが楽だということもある。(ケトルやポットはキッチンが狭いと意外に場所をとるものだ。)

 

自分に合う道具は、自分にしかわからないし、同じ生活をしばらく続けなければ、それが見えない。

 

だから、ゆっくりと、時間をかけて、新生活で頑張った自分へのご褒美として、

GWからお盆頃までに

新生活の品物を揃えるペースでいかがでしょうか。

 

 

 

ドケチの対価

貧乏サラリーマンの

ドケチ生活の実態を

レポートします。

 

1 食費

 

転妻カラス家に

いくつかの出費が生じて(電化製品と車の故障など)

家計が火の車になった時期があった。

 

そのころ、「最低限の食費で暮らすとすると、我が家はいくらくらいだろう」と実験してみた。

 

お米をなるべくやめる(小麦粉のほうが相対的に安い)、野菜の種類は一回に二種類まで、お酒とお菓子をぎりぎりまでま買わないように、コーヒーは100円均一で…というようにした結果、

一人当たり一ヶ月17000円だった。(トイレ用品、殺虫剤などの日曜消耗品込み)

純粋な食費となると、月に15000円くらいか。

 

火の車の時期を経て、

現在の食費は、一人月に20000円ほど。これも純粋な食費だけなら、月に18000円くらい。

 

差額は月に3000円。年に3万円。10年で30万円の差額。

 

微妙な額である。何か目的があるのなら、この30万円で成し遂げられることはあるはずだ。

 

でも、漫然と「貯金したい」というだけなら、この3000円が、幸と不幸の分かれ目になるため、考え物。

 

ドケチ生活を実施していた頃は、ささいなことでカリカリした。

専業主婦なのにデパート通いしている知り合いを見ると、妬みでキーっとなったり、

居酒屋に吸い込まれていく集団を見てもイライラしたり。

精神的に病むレベルだった。

 

月に3000円。これで、お酒を飲みたいときに買って帰れて、たまに高めのコーヒーが飲めて、新顔のお菓子を試せる。

貧乏は楽しいと笑えるレベル。

 

この3000円を削ると、貧困生活の域に入っていくような気がした。

世間で「最貧困生活」と言われるのは、月に10000円。それを割ると三食食べるのが厳しくなる。(実家や親戚から米や野菜の援助がない都会暮らしの場合。)

 

我が家の場合は、月に一人18000円が限度だとわかった。

 

2 電気代

 

転妻カラス家では、年に冷暖房機を使うのは、年にのべ三ヶ月ほど。

酷暑の時期はエアコンを、極寒の時期は足元暖房器具を使う。

冬は、室内でもダウンジャケットを着込み、暖房を使うのは酷寒の数日のみ。

冷暖房費は、年間1万円ほど。

 

旦那は冷暖房をもともと使わないタイプで、空気の乾燥が嫌いだと言い、酷暑の日も酷寒の日も、器具を使わない。(本音は、妻以上のドケチ。)

 

シフト制休の転妻カラスは、旦那が休みの日にもパートに行くので、

帰宅すると旦那がテレビを観ている、ということがよくある。

 

酷寒はまだしも、酷暑の日に

澱んだ室内に旦那の体温までムンムン。

そんな中で夕飯の支度ができるか!!!

と騒ぎながら、エアコンをガンガン入れる。

 

年に1万円。10年で10万円。

 

そのために蒸し風呂で耐え忍ぶ…。転妻カラスはこれを却下する。

 

3 情報

 

転妻カラス家では、現在のところ新聞を購読していない。

ニュースはテレビとネットのみ。

これだと情報がどうしても狭くなりがち。

 

転妻カラスはビジネス系記事が大好きなので、

ビジネスマン向けや、経営者・投資家向けの配信をよく読んでいる。

そういうのを読むと、何となく、自分も成功者の一人のような、ステータスが上がったような、自己満足を覚えるのだ。

ちょっとの間だけ、貧乏主婦の自分を忘れられるというか。

 

すると、ブログの文体も妙に硬くなってきたりして。

これも情報が偏ってしまった弊害かも。

 

自分に関して言うと、

貧乏だと、どうしても世間が狭くなる。

付き合えるのは貧乏人ばかりになり、まわっている情報も貧乏な情報。

 

金持ちの知り合いも中にはいて、おいしいお酒の銘柄を教えてくれたりする。

 

大人ならば、そういう情報にもたまには触れる必要があると痛感することがある。

ちょっと裕福な人たちと話をすると、自分が何も知らないことに物凄く気付かされる。

 

教えてもらったお酒をバーで試してみて、「これがおいしいお酒か」と知るのも、大人には必要だと感じる。

 

高級な品物の価値。

これも、少しはブランド物を持っているので、それを使いこなすと、長持ちして飽きが来ないこともわかる。

 

世の中のトレンドにも触れなければ、世間知らずな人になってしまうかも? と感じることがある。

 

世間では常識のような情報を知らずに「この人はそんなことも知らないのか」と思われるのは、長い目で見ると人生の損失になる。

 

と、そんなことも一方では思いながら、倹約生活を邁進する我が家であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

広告を非表示にする

企業の人事担当者も大変だ

転妻カラスは転勤について、企業と社会がもっと配慮して欲しいと何度も書いてきた。

 

企業人事からすると、文句があるなら辞めなさいという話に過ぎず、

 

人事担当者は、そんなことを言われても自分には何の権限もないという話で、

 

企業からすると、業務上やむを得ないという話だろう。

 

 

本当はこんなブログは無意味だろうと思う。

 

前にも書いたが、「転勤族」「転妻」がすべて同じ立場で、同じように不利益を感じるわけではない。

本人も家族も転勤を望み、それがステップアップにつながるケースも多いだろう。

不利益を感じて、配慮を望む転勤族は、全転勤族中の何割になるのか。そのへんは専門家ではないのでわからない。

 

ではなぜ、こんなにくどいブログを書いているのか。

 

転勤により不利益を被るケースがあまりにも多いのに、

その情報がほとんどマスコミでもネットでも伝えられていなかったから。

 

「転勤族? いろんなところに住めて友達もたくさんできて高収入。いいなーうらやましい」

 

という、マンガみたいな空想が転勤族のイメージとして定着してしまっているような気がしてならなかった。

実情は違う。こんなに過酷な一面があるということを訴えたいと思い、あえてネガティブなことばかり書いている。

 

転勤が嫌なら転勤のある会社なんて選ばなかったらいい。

辞めたらいい。

他人にそう言うのはとても簡単。

でも、転勤しないために転勤のない会社を選んで勤めても、その会社の経営方針が変わり、転勤が生じるケースも多い。

転勤が過酷だからと会社を辞めたら、明日からコンビニや宅配ドライバーで働くか。そういう決断はなかなか簡単にはつかないものだ。

こんな貧困時代ではなおさら。

転勤族の不利益を自己責任論で語られると非常に困る。

不利益を被っている転勤族が一人や二人ではないから。

 

転勤族の実情の一部が正しく広まると、結果的に企業人事のシステムも少しずつ変わって行くと信じている。

 

企業は常に、世の中の多勢に敏感。国もまた同じ。

世の中のムード、社会の空気が変わらない限り、転勤制度も変わりにくい。

 

転勤族が裁判を起こしてもほとんど勝ち目はない。

だから、何十年もの間、不利益がひたすら我慢されてきた。

 

かき消えそうな小さな声でも誰かが声を上げれば、少しは何かが変わるかも。

そうすれば、これからの転勤族たちが少しは楽になるかも。

そんな希望を持っている。

世の中が一ミリも変わらなくても、このブログをオバサンの愚痴を並べるだけの場にはしたくない。